特派員K From USA

2001年の夏休みが終る頃、父の仕事の都合でアメリカに
一年間移住することとなったKさん一家。
3人の怪獣(長男、長女、次女)を引き連れての民族大移動は
ドタバタの内に決行されたのでした。
予てよりその冷静な分析力と鋭い洞察力、そして内に秘めた
熱いハートで定評のKさん。うん、適任。
ということで、一方的に駐米特派員 になっていただきました。
不定期ですが、これまでのご自身の近況報告を兼ねたメールより
アメリカについての思うところを抜粋させていただき、リポートとしています。
かなり目からウロコの報告となってます。


2001/9/20    同時多発テロ事件の後、心配になったメンバーからの
           メールに返信より

> >特派員Kさんはどんなこと感じていますか?

事件から一週間が過ぎて、米国国民も平静さを取り戻してきているようです。

こういうやり方って、卑怯だと思います。
逆に言えば、まともにやったら絶対に 勝てないと言うことを認めている。
でも、だからこそ、こういう手段を執るしかないともいえる。

アメリカ人が、”正しい”と信じているのは、
自由主義、民主主義、資本主義経済による 世界の秩序で
その枠の中で、フェアに競争するのはいい
できないなら、加われるように 援助もする。
しかし、それを、否定する、壊すものは、”悪”
悪なら、やるしかない・・・やるべき・・・
アメリカをはじめとするいわゆる先進国の世界観はこんな感じでしょう。
でも、これも、歴史的流れの中の、今のところの、価値観の一つに
すぎないのだろうけど、そして、アラブの人たち、
イスラムの世界は、違う価値観を持っているだけなのでしょうが
アメリカは、それは認められないでしょう。そうでなければ、
あれだけのお金を軍事費に使う意味がなくなる。

日本も結局、一番お金がかかる、やっかいな軍事に関しては、
アメリカにおんぶの状態だから、やっと国はやっていける。
たしかに、アメリカは面倒見のよい、悪く言えば、
お節介なんだろうけど、日本もそれをうまく利用している。

でも、それができるのも、この国土の広大さと?源の豊かさという
努力とか、工夫とかのしようのもないものが、前提にあってこそだと思えます。
自分たちは努力せずして持っているのに、もてない国に対して、
フェアにやろうというのはちょっと・・・

その辺がわかっているのかなとも思います。
これだけ、多種多様の民族をうけいれて、しかも、性別、人種などの差別も
全くなくはないのだろうけれど、(日本に比べれは、雲泥の差だと思います。)
或程度のところまでは克服されて、いるのに・・・

本当に、職業上でも、長男の学校のスクールナース(学校の保健室にいる先生)
は男だし、次女の幼稚園の先生の一人は黒人の男の人だし、うちに来た
電話の技術者は女で、騎馬警官にも女がいたし。
障害者なんて問題じゃないです。ほんと。学校は当然一緒だし、
介助のボランティアは一人に一人ずついるし、カウンセラー(心身とも)はいるし
だいたい、一クラスが、20人以下、長男のクラスなんて14人なのに
先生が二人いる・・・

何がなんだか、いつもようにむちゃくちゃになってきましたが。
とにかく、不思議な国です、ここは。
この事件で、こんなことを、ごちゃごちゃ考えてました。
さあ、日本はどうするんやろ。


2001/12/18    学校について   

こちらは、日本のカリキュラムと違って算数
国語(つまり英語)が毎日同じ時間にあって
あと今は世界地理をやっていますが、同じ時間帯でも
9−10月は地学をやり、1月からはアメリカ史になります。
そのほか、図工、体育、音楽、コンピューターなどが日替わりで入ります。
長男は英語にはとてもついていけないのでその時間は
ESL(English as Second Language) という英語ができない
外国人のこのために教えてくれる専門の先生の授業を受けます。
それで、私が通訳というか手伝いにいっているのは、社会、
つまり、地理の時間です。
6年生ともなると、先生も早口だし、用語も多いので、
その場で、分かりやすい日本語にするのはなかなか大変です。

ただ、どの授業もそうですが、日本と違って、
ただ座って先生の話を聞いているという時間はほとんどなく
一人一人が、ワークシートの設問に自分で、資料を使って
答えを見つけ、いついつまでに提出する、というのが多いのです。
おもしろいのは、まじめに取り組んでいる限り、
床に寝っ転がってやっていようが、図書館に行こうが、
飲み物を飲みながらだろうが、かまわないのです。

しかも、スナック・タイム、いわゆるおやつの時間が必ずあって
食べながら、算数をやったりします。
**ちゃんだったらおおよろこび?

先生は、一人一人の様子を見ながら、質問に答えたり、
アドヴァイスしたりします。
長男のクラスは、16人で
先生のほかにパラプロフェッショナルという肩書きの
補助の先生もいるので、すぐに対応してもらえるので
さぼるとか、わからないからとまっていることもない。
その分、一人一人が自分で、きっちりやらされるので、
緊張感、エネルギーも必要でしょうね。

あと日本と一番違うのは、作文の時間、
何かを読んだり、あるテーマについて
自分の意見をまとめるという時間が毎日あって
長男は日本語でやっているのですが、
なんといっても作文が苦手な上に、
日本でも作文指導というのはほとんどないので、
大変苦労しているようです。
こちらでは、自分で考えて、その考えを
他人に分かるようにまとめるという能力が高く評価されるようです。


2001/12/18    社会の意識

学校ですが、アメリカは地方によって、色々違いがあるので
ここ、アムハーストでは ということですが。

特に、マサチューセッツは公立学校発祥の地と言うこともあり、
中でも、この辺は、大学が多くて子供の教育に熱心な人たちが
好んで集まるところのようです。

第一にお金のかけ方が違います。
本当に公共教育にはお金がいりません。
鉛筆やノートをはじめとする文具もいっさい学校に用意されていて、
個人は購入する必要がないのです。
もちろん、家庭での宿題には必要ですが。
お弁当、あるいは学校でランチを買うための2ドルは必要ですが
それも、ある一定の基準以下の収入しかない家庭の子は、
学校で買うランチもただになるし、朝ご飯までただで食べさせてもらえるのです。
どんなに貧しくても、学校では絶対困らないようになっています。
しかも、私たちのような税金も払っていないような家の子供でも、全く同じです。
それどころか、ただで、外国人に英語を教える専門の先生に個人授業に
近い形で英語を教えてもらえるのです。

**さんがいっていた、チャンスはどういう
境遇の人にも平等に与えようという精神があって、
それを現実のものとする法律がしっかりあり、
運用されているということです。

自閉と思われる子、ダウン症の子、軽い知的障害があると思われる子などには
1たい1でボランティアがついていますし、そういう子たちも、
その子ひとりひとりにあった療育なり教育なりのプログラムがあるようで、
そのスケジュールにあわせて、別室で個人授業を受けて、戻ってきます。
英語ができない子にとっては、それが、ESL(English as a Second Language) になります。

そのほかにも、担任が授業についていくのが難しいと判断すると
専門の人に検査のようなものを頼んでそれで必要だと認められると
やはり、ついていけない部分を補うようなプログラムが
計算が極端にできないとか、読みがおくれているとか その子に、くまれ、
同じように、その時間だけ抜けて少人数クラスで授業を受けます。

そのほかにも、長男の話ででていた、
パラプロフェッショナルという補助の先生もたくさんいるし
ある一定の研修を受けたボランティアもいるし とにかく、大人が多いです。
平均して、ひとクラス15から18人くらいの子供に、
おとなが、3,4,人の割合でいるのではないでしょうか。

こういうのはすべて、税金でまかなっているわけで
こういう風に自分たちの税金が使われていいという
コンセンサスがあるということなのでしょう。

さらに、ただ、税金に頼るのでなく、
運動場に新しい遊具が必要だということになると、
親たちの有志による組織ができて、あらゆる手段を使って お金を稼ぎ、
自分たちで、作るのです。 そして、それに協力する人も多くいます。

ここには、子供というものは、公のもの、社会のもの
大人がみんなでその成長や教育を支えるべきだ、
それが社会、公共の役目、あり方という意識が、
現れているのではないかと思います。
 日本には、こういうところももはや、国民共通の意識としては
ないように思えます。この点が、1番恐ろしいことのように思います。
自分たちの国をどういう国にしたいのかという意識がないようなものですから。


2001/12/26    学校について〜犬編〜

前回学校の様子をだらだら書きましたが
一つ書き忘れたことがありました。
犬です。

犬が学校に来ています。
先生の話によると セラピードッグで1年生のクラスで
”働いている”のだそうです。
具体的に何をしているのかは分かりませんが
毎日始まる時間に来て、終わりの時間に帰ります。
大変よくしつけられている犬で、 ほえた声は一度も聞いたことがないし
連れている人の言うことに従順で 賢い犬だと言うことがよく分かります。

先生、補助の先生、スクールカウンセラーが二人
多くの特殊教育の先生、ボランティア、通訳の先生
その上、犬も働く学校 。
よそから越してきた人に聞いても、 この学校は特殊なようです。


2001/12/27     環境について

> 子ども同士の関係もそうですが、大人もこれぐらい
> バラエティーに富んだ人が関わっていると、人に対しての
> 許容量が増しますよね。その上、わんもですから・・・。
> 最近は、この色々な人が関わると言うことが、
> とても大切なのではないかと思うことです。

私が見ているのは2年生の長女のクラスですが
特にこのクラスはいろいろなバックグランドをもった子がいて
13人のこのうち、3人がプエルトリコの出身で、1人がエクアドル
これらの子たちは家庭ではスペイン語を使っているので読み書きが遅れがちです。
そこで、国語のときは補助の先生がきてこの子たちと長女と一緒に
ほかの子より簡単な読み物を読んだりします。
ボスニアから2年前に来たという子が一人、この子はイスラム教徒です。
ユダヤ系の子が一人、お母さんが台湾の人で中国語もできるという子が一人
仏教徒でお寺で座禅をするという女の子が一人
中国系で自閉と思われる女の子が一人、介助の人がついています。
この子がなるべくこのクラスの中にいられる時間を延ばそうということで
国語の時間にクラスの子が毎日交代でのことゲームをすることになっています。
赤毛の子、金髪の子、色の黒い子、そして英語ができない、日本人、我が長女。
と、様々です。

おもしろいのは、まだ、幼いからなのか、
やはり小さい頃からなれているのか、
お互い、がお互いの違いを気にしていないと言うか
当然だと受け止めているのか

それと、他人のことをけなす馬鹿にするという場面をほとんど見かけません 、
これはすごいことなのではないかと思います。
お昼休みのあとにシェアリング(共有する)という時間があって
自分がみんなに見せたいものとかもってきてみんなの前で見せるんだけど
その辺で拾った石だったり、なんでもない自分で作ったりしたものでも
みんな、おもしろそうに見てくれて、かっこいい、とか、いいね、
と言い合って、けなす言葉は聞いたことがありません。
そのほかの場面でも、自分の絵とかやったものについて、
お互い見せ合って、お互いほめあって、自慢しあっています。」
見ていて、すごくおもしろいというか、うれしくなります。

> 子どもたちの周辺の大人はそれぞれがどう関わりを
> 持っているのでしょうか?
> とっても興味あります。

私が知っているのは学校という狭い特別な空間で見ることなのですが。

こちら先生のもっている責任感というのが日本人の感覚と
少し違うのではないかと思うようになりました。
先生は子供たちにこれだけのことを教える責任があるという意識が
はっきりしていて、それがいろいろな理由で、
         「長女のクラスのように英語以外を母国語としている子が
         多いとか、特に、このラテン系の男の子たちは、しつけ
         の面でも、一般的なアメリカ人家庭とは違うので、その
         点でも、苦しいようです。長男がこの年だったら絶対
         やばかったと思う・・」
難しいとなると、遠慮なく他の人に助けを求めるし、
求められれば、そこに来られる人手があるというのもすごいのですが。
クラスの保護者にも手紙で、算数や、国語の時間に手伝える人は来てください、
とお願いしたりするのです。
自分の仕事は子供に理解させることで、それを達成するために工夫します。
それが責任だと考えるようです。
日本の場合、自分一人で何とかするのが責任だと考えるのではないかな。
でもこれって、面目という子供ではなく自分の都合を大切にしている
のではないかと 思えました。今私がいるように親がクラスに来て授業を手伝うなんて、
日本の教師に は、なかなかむずかしいでしょうね。

それに、12月は学校に家族を呼ぶ月ということで
社会科の時間に、たとえばプエルトリコ出身の親が来て
プエルトリコの話をして、コンガというドラムの演奏をしたり
子供の頃スペインにすんでいてスペインに毎年行くという親が来て
スペインの話をして、カスタネットを作ったり
ボスニアから来たこの親は、当然イスラム教の話をしたり
ボスニアのお菓子をみんなで食べたり
ユダヤ系の先生が来て、ユダヤ教の祭日の話をして、
みんなでお菓子を作ったりしました。

というわけで、当然私にもおはちが回ってくるわけで、
年明けに日本のお正月の話をせねばなりません。
あと、台湾出身のお母さんは、旧正月の話にくる予定だし。

子供の誕生日には親が、学校にカップケーキだの
パウンドケーキだのもってきて クラスの子みんなに配るのが
習慣のようでおやつの時間に食べたりします。

前にも言ったけれど、学校の運動場にアスレチックがほしいとなると
親たちが自主的に組織を作って募金を集めたり
ボランティアを募ったり、それに結構進んで協力する人も多いし
PTAで通常より割り引いて本を売るブックフェアがあって
その収益で本を買って学校の図書館に寄付したり
運動場の整備に当てたり そのブックフェアもボランティアの親たちが
変わりばんこに店番したり 毎日並べたりかたつけたり こういう感じで、
学校に親が関わるのは当たり前という意識が強い
というか当然になっているようです。
学校側もそれを当たり前としているようだし。

日本の学校も、ゆとりとか、創造力とか耳障りのいいことは いっていますが、
こういう点こそ見習うべきじゃないかと感じています。


2001/12/27     意識の差

> 本当!子どもたちをめぐっては、多くの問題を抱えた国
> ではあるけれど、でも、子どもを社会で育てよう!!
> 色々な子どもたちがいるからこそ良いのだ!!子どもた
> ちの成長をどうやって支援しようかと大人達はマジメに
> 一生懸命にサポートしてる社会のような気がしています。
> 子どもと言った場合、そこには当たり前に「障がい児」
> が含まれているのですよね。「うちの子は障がい児なん
> ですけれど・・・」といって「それは対象外です」って
> ことはなくて「ではどういうサポートが必要ですか?」
> と、帰ってきそうです。 ちょっと、評価高すぎますか?

アメリカは地域によって様々なので地域限定ですが、
この辺はそういうかんじです。
特にここは大学が近いと言うことで、リベラルだと思います。
田舎のというか保守的な地方はまた全然違うと言うこともありえます。
障がい、とか外国人とかというカテゴリーもないという感じ、
その人の特徴、その人のニーズが問題になるだけで。
ただし、自分で声を上げることが必要なようです。
待っている、あるいはあきらめる、だれかが・・・
ということでは自分の望みは達成できない
自分の存在と必要をとにかく出すのが肝心のようです。
声がないのは必要ではないからと思われるようです。

その、声を上げ続けていくことの積み重ねが、
社会を変える力になれるところがアメリカのすごいところです。
日本はまだまだその辺難しいけれど、これからのはっきぃの
役割の一つでもあるでしょうね。


まだまだ続く・・・かも・・・・・それにしても日本とアメリカの教育環境の差はいったいなんなんでしょう!日本では考えられない、想像しづらい問題もアメリカは抱えてはいますが、”お上が決めたことだから”とか”じょうがない”という他人本位、受動的な市民意識は、そこには存在しないのでは。日本との大きな差の一つでしょうね。

編集後記・・・・のりパパ